10.13.2014

虚構と現実のバランス

先日、ドラクエ3のアプリを購入した。
iPadでプレイしている。

モンスターが、まだ恐ろしかった頃の、ドラクエとでも
評しておこう。

私が、この作品を初めてやったのは
小学生の頃だから、20年は前のことになる。

それだけに、様々な事が思い出される。

当時は思わなかったが
 いまやってみると、難易度が高く感じる。

筆者は、さほど今のゲームをやっている訳ではないが
それでも、それなりに触れて来た。

よくファミコン世代の人間が
今のゲームはぬるい、と言う。

筆者も、そう感じる事はあるが
しかし、ゲームによっては、難しいものもあると
思っていた。

しかし、よくよく考えてみると
そもそも、昔はクリアーする事自体、ままならなかった。

小学生と、大人の知恵の差も、考えねばならないが
それでも今のゲームは、どんなゲームであれ
難易度を簡単にすれば、とりあえずクリアできる。

昔は、そもそも難易度の設定すらできないゲームも
多かった事を、考えると
自分の所有するゲームで、クリアできないソフトが
2〜3割は、あった様に思う。

今、クリアできないゲームがあるとすれば
それは、難易度によるものではなく
ただつまらなくて、途中で止めてしまったものだ。

遥かに発展した、現在のゲームは
技術的にも、商業的にも、比べ物にならない程
趣向を凝らし、誰の感情にも強い印象を与える事ができる。

映画と見まごうばかりの演出、そこにもう一つの社会が
あるかの様な、スケール。
そして、いまや世界中の人々と、共有する事のできる
ネットワーク。

ゲームに対する没入度は
昔のそれと、比較にならない程。

現実に支障を来すものすら、でてくる程である。

果たして、そのような事を、つよく生じさせるゲームは
イイゲームなのだろうか?

筆者は、そうは思わない。

強い没入感、現実を忘れさせ、おろそかにする程の虚構は
人間にとって、害悪である。
麻薬の様なものだと、筆者は感じる。

幼少の頃よく言われたものだ。
いい加減にしなさい。
もうやめなさい。
やりすぎだぞ。

今、そう言われる環境で、プレイしている人は
どのくらい、いるだろうか?

ゲーム機が、据え置きから、携帯に移り変わると共に
実質、所有する限り、自分で自分を管理する
環境での事が、増えた。

つまりは、自分が許す限り、止められないと言う事だ。
ここでは敢えて、止められないと書く。

それが、麻薬と言う所以である。

強い依存症を伴うゲームは、良作では、ないと思っている。

虚構と現実のバランスのとれているゲームが
良いゲームなのである。持論だ。

具体的には、なにか?

例え、表現される世界観を楽しむ。
それは、ゲームのすばらしい所だ。
しかし、其の世界から、いつまでたっても
離してくれない、留めようとするのは
いささか間違っている。

大事なのは、ちゃんと現実に返してくれる事。

子供もプレイするものにとって
これは、とても大事な事なのだ。

こどもは、盲目だ。
楽しい事は、なおさらの事。
いつまでもいたい。其の世界に
居続けたい、帰りたくない。

人間、誰しもが一度は経験した事のある
事だろう。

しかし、何事もどこかで現実に返すよう
措置がとられているもので
なにがしかの、行いをするものだ。

それが無い者は、麻薬の様に中毒症状を起こし
そして、生活に支障を来す。

ゲームにも其の側面があるというのだ。

今、虚構の世界が広がっている。
そこで、何をし、どう過ごすのかは
決まっていない。あなたしだいだ。

しかし、忘れてならないのは
あなたは、そこの住民ではないと言う事だ
全てが、虚構であると言う事。
根本的な事を、忘れてはならない。